その1の続きです。
結局もう高齢ということもあり、母は退職を選びました。
多分私が実家に戻って1年ぐらい経った頃だと思います。
そして更に1年経った頃です。
母に「これは認知症なのか?それとも年齢によるものなのか?」という症状が出始めました。
母には姉が2人いて、どちらも認知症でした。
その2人の姉の娘、つまり従姉妹とはグループラインでつながっていたので相談することにしました。
「こんな症状があるのだけど、これは認知症の始まりなのか、年齢によるものなのか?」と。
2人とも「認知症かなぁ〜。病院に行ったほうがいいね〜。」と。
そんなやりとりをしている間に、決定的に「普通じゃない」出来事が起こりました。
詳しくは介護についての記事でまた書いていきたいと思います。
メンタルクリニックに通院していて、薬の副作用からかパーキンソンの症状があらわれた母は、脳神経内科にも通院していたので、その主治医に相談し、認知症の検査を受けました。
結果、「パーキンソンまたはレビー小体型認知症の疑い」でした。
母は、まったくと言っていいほど、趣味のない人でした。
自分の好きなこと、やりたいことをもっとやればいいのに、つまんない人生だな、と思っていましたが、今思い返すと、それぐらい家族や仕事のために一生懸命に生きていた人だったんだな、、、と。
主治医に「家で何もしないでテレビばかり見ていてはダメ。メリハリのある生活をしてください。」とデイサービスに行くことを勧められました。
本人はなかなかそれが受け入れられずイヤだイヤだと言っていましたが、良いケアマネージャーさんに巡り合い、そのケアマネさんから勧められたデイサービスに一緒に見学に行くと、とても気に入り「ここならいいわ」と通うことになりました。
そのデイサービスにず〜っと、何年間も通うことを想像していました。
認知症の進行がこんなに早いと思っていなかったからです。
デイサービスに通い出した頃「要介護1」で1年半後「要介護2」になりました。
しかし、3ヶ月もしないうちに、これは要介護2どころじゃないよね?というぐらいの状態になり、再度認定調査を受けると「要介護4」と、要介護3を飛び越えての結果でした。
もちろんデイサービスに通いながらのことでしたが、土日はデイサービスが休み。要介護4の状態の母をひとりでみていた私、よく頑張ったな、、、と(涙)
その後も坂道を転げ落ちるように認知症の進行が進み、ショートステイとデイサービスを使えるだけ使っていたのですが、徘徊が始まり、もう私の手に負えなくなり、施設入所を希望。
2024年10月にグループホームに入所し、12月に希望していた特別養護老人ホームに転所できることになり、私の久しぶりの一人暮らしが始まったのでした。
その3に続く。